「……は?」
学食でひとり食事をとっていた沢北は、目の前に立った男を見上げた。じっと見ても、やはり見覚えのない顔だ。おそらく初対面のやや目つきの悪い男から、唐突にフルネームで呼びかけられては、こちらの態度が棘のあるものになっても仕方ないと思う。それでも食べかけていた箸をいったん置いたのだから、むしろ褒めてほしいくらいだ。
「誰?」
不快感を隠そうともせず問うた沢北に、その態度をとくに気にするでもなく男は片眉を上げて「スタイリストコース2年の宮城リョータ」と端的に答え、さらに続ける。
「よろしく。ファッションモデルコース2年の沢北栄治だろ?」
「……そうだけど」
「ここ座ってもいい?」
「もう座ってんじゃん…別にいいけど…」
思っていることが全て顔に出ていたのだろう。宮城がふっと口の端を上げて笑った。同学年だと言っていたのに、その表情は妙に落ち着いて大人っぽい。宮城が座ったことで目線は沢北が見下ろす形になったが、その堂々とした態度に少しだけ気圧される。
「で、さっきの話だけど、今度ショーあるじゃん? あれで沢北にオレのモデルやってほしいんだよ」
自己紹介はもう十分だろう、という態度で再び本題を切り出されるが、沢北からするとまだ名前と専攻を知ったばかりの同い年という情報しかない。そんな状態でモデルを打診されても、どう答えて良いのやら、うまく言葉が出てこない。
ショーというのは、この前告知されたファッション科での共同イベントのことだろう。業界でも知名度の高いイベントで、強制ではないが参加したがる学生がほとんどだ。ただし、一定の基準以上の評価を得ていないとそもそもエントリーの権利を得られない。ということは、この眼前に座る不遜な男はスタイリストコースでの成績優秀者とみてよいだろう。沢北もファッションモデルコースの成績優秀者だったが、いかんせんコースが違うと面識もない。もう少し情報が欲しいと思った。
「俺たちって、どっかで会ってたっけ?」
「いや、話すのは初めてじゃね?」
「…だよね」
取り付く島もないとはこのことだ。急なお願いをしてきたわりに、こちらに寄り添おうという気がない。沢北は自身が人懐っこい人間であると自覚していたが、それ以上に周囲が沢北を放っておかなかった。しかしこの宮城は、沢北のことをどこか突き放したような態度を取る。経験のない状況に、沢北はどうして良いのかわからなくなった。自分がお願いされている立場なのに、うつむきがちに声も徐々に小さくなっていく。
「……なんで、俺に?」
縋るように宮城を見上げた。その瞳は真っ直ぐと沢北を射貫いた。
「沢北栄治の魅力を引き出せるのはオレだと思ったから」
これが俺と宮城の初めての出会いだった。
*
なんて鮮麗な瞳だろうと思った。
廊下の展示スペースに貼られた一枚の写真に、宮城の視線は吸い寄せられた。なぜだかわからないが、その瞳から目をそらすことができない。しばらく廊下の真ん中に立ち尽くしていた宮城の後ろを通ろうとした誰かと、その肩が少しぶつかった。ハッと我に返った宮城は「すみません」と同時に会釈して、またその展示に向き直る。
それらは、ファッションモデルコースの課題展示だったようだ。いくつも並んだ写真の下には名前が記載されていて、先程目を奪われた写真には「ファッションモデルコース2年 沢北栄治」とある。ぐるりと全体を見て、またその写真に視線を戻す。そこに展示されたものの中では、沢北の写真が圧倒的な存在感を持っているように見えた。
沢北栄治といえば、入学前から読者モデルとして活動している彼だとすぐに思い当たった。ファッション誌でも度々その姿を見ている。在学生でモデルとして活動している者はそこまで珍しくもないが、彼はその中でも人気が高いらしいと風の噂に聞いたことがあった。確かに長身でスタイルが良く、どんな服を着せても着こなすことができる正統派な美丈夫だ。言い方は悪いが、使い勝手が良いのだろう。そんな風に思っていた。
しかし、どうだろう。この眼前の写真で、こちらを見るこの瞳とその身体の圧倒的なまでの説得力は。正統派などという言葉におさめることができない、沢北栄治という人間のその魅力は。しかも、その魅力を余すことなく発揮することはまだできていないように感じられた。面識もない男になぜそこまで思ったのか不思議だが、宮城の脳裏には、自分なら彼の魅力を最大限に引き出すことができるのに、という思いが浮かんでいた。そして、それはそうしたいという強い願望になって宮城の心に突き刺さった。
そんな折、ショーの開催要項が発表された。2年生から参加できるこのイベントに、もともと宮城は参加するつもりでいたが、とくに知り合いが多いわけでもないため、モデルをどうするか悩んでいた。これは絶好の機会だ。普段の自分では信じられないような強い衝動に任せて、宮城は沢北にモデルを頼むことを決めた。
そうはいってもファッションモデルコースに知り合いもいなかった宮城は、何度かその姿を見たことがある学食で沢北が現れるのを待つことにした。ちょっとストーカーっぽいなと思いはしたが、他に方法もない。それにモデルは沢北以外にもう考えられなかった。背に腹はかえられぬ。
幸運なことに、学食で沢北を待ち始めた次の日には彼が現れた。普段から多くの友人に囲まれている男だが、今日はひとりなのも都合がいい。宮城は沢北の座る場所に向かいながら、珍しく自分の胸が高鳴るのを感じた。思わずにやけてしまいそうになる口元を押さえて、何でもないフリをする。
「沢北栄治」
宮城を振り仰いだその瞳は、やはりとても美しかった。
*
自信満々に突拍子もないことを吐いた眼前の男は、平然とした表情でさらに続けた。
「こないだ展示スペースに展示されてた課題見てさ。沢北の写真、すごく良かったよ。それしか目に入ってこなかったくらい。でも、こんなもんじゃないだろとも思った」
あの課題のことだと沢北にはすぐに分かった。これまでにやったことのない表現に挑戦したからよく覚えている。
これまで沢北は、求められるままモデル仕事をこなしてきた。求められるということは素晴らしいことだ。そこが誰かが欲する場所であることも理解している。ただ、それが自分である意味だってきっと無いだろうということも分かっていた。簡単にすげ替えられるような、そんな存在なのだろうと。それでも、危機感を覚えるでもなく日々は漫然と過ぎていき、沢北はとても退屈だった。
無自覚のうちに沢北はその退屈に嫌気がさしていたのかもしれない。いつも通りのまま、課題をこなすことだってできたけれど、気まぐれにいつもと違うことをやってみようと思った。――誰かに求められる沢北栄治ではなく、自分が表現したい沢北栄治をやる。
それは思っていた以上に難しいことで、いつもは自分の見せ方にかなり確信を持てるのだが、今回の課題では手探りの部分が多く、強い確信を得るには至れなかった。ただ、撮り終えた作品を見たときの手応えと、何よりもそれを作っていく過程がとても刺激的で楽しかったことを思い出す。
宮城はあの写真を見て、沢北を評価すると同時に、その未熟さにも気付いた。全てを見透かすようなその瞳は、なおも沢北を検分するようにとらえて離さない。
「オレが沢北栄治の魅力、引き出してやる」
不敵に笑った宮城から、沢北も目を離せなくなっていた。
「だから、オレのモデルになって」
なぜこんなにも強くこの男に引き寄せられているのか、沢北はさっぱり分からなかった。ただ、宮城と一緒にやってみたい。それはあらがいようもないほどの大きな衝動であり、確信でもあった。
だから、沢北は笑った。
「うん、やるよ」
そう答えた沢北に、なぜか今度は宮城が面食らったような顔をした。
「……マジ?」
あんな有無を言わせないような態度を取っておきながら、了承した途端、それを疑うとはどういうつもりだ。案外、飄々とした態度は宮城が取り繕ってみせているだけなのだろうか。突き放したように感じたのも、ただ強がっていただけなのかもしれない。少なくとも取り付く島もないような男ではなさそうだ。
「うん、ほんと。これからよろしくね、スタイリストさん」
手を差し出すと、おずおずと宮城も手を出して握ってきた。
「…こちらこそ、よろしく」
そうして照れくさそうに笑った宮城の顔は、はじめて年相応のそれに見えて、沢北は急に宮城に親近感が湧いた。ずっとそういう顔で笑っていればいいのに、と沢北は思ったが、宮城はすぐにまた不遜な表情に戻ってしまう。それすらもなんだか可愛いやつだ、なんて思ったことがバレたら、きっと宮城はとんでもなく嫌そうな顔をするに違いない。そう思うと、なんだか沢北は楽しい気持ちになってきて、ニヤついてしまうのが抑えられなかった。案の定、それを見た宮城は片眉を上げ、沢北を睨むように見上げた。
「なんだよ」
「いや? なんでもないよ」
小さく降参のポーズで笑う沢北を、まるで信用していませんという瞳で一瞥したあと、宮城はポケットからスマートフォンを取り出した。
「連絡先、教えろ」
「あ、そうだね」
沢北は机の上に置いていたスマートフォンを手に取ると、すぐにメッセージアプリのバーコードを表示させた。その画面を見せながら宮城を待っていると、メッセージアプリを起動したのちいくつか押しては戻り、やっと友達登録画面を呼び出すことに成功したらしい。さっそく沢北の画面にカメラを向けて読み込んでいる様子は不慣れそのもので、沢北はつい思い至った推測をそのまま口にしてしまった。
「……宮城って、友達少なそうだね?」
「ああ?」
めちゃくちゃガラの悪い声で凄まれて、沢北はびくりと肩を揺らした。ああ、またやってしまった。
「ご、ごめん…」
小さな声で謝って、俯いた沢北を宮城がじっと見ているのが分かった。
沢北はあまりにも率直に、思ったことをそのまま口にしてしまうことがある。それは、時に人を苛つかせたり傷つけたりすることがあった。沢北自身もその迂闊さをどうにかすべきだと思ってはいたが、コントロールできるようなものならそもそも困っていないのである。
せっかく宮城とこれから仲良くなれるかなと思ったタイミングだったのに、とちらりと宮城を伺うと、変わらずにじーっと沢北を見つめていた瞳と目が合う。すると、宮城がため息をついたので、沢北は泣きたくなった。モデルの話も、もしかしたら白紙になってしまうのだろうか…? そんな不安が頭をもたげたとき、宮城はふいに右の口角だけを上げて皮肉な表情で笑った。
「そういうお前は、友達が多そうだな」
「え…?」
「別に、事実だから腹も立たねえよ。困ってないし」
「……」
先ほど見せたまだ幼い笑顔とはうらはらに、宮城は随分と落ち着いた大人っぽい一面ももっている、と沢北は思った。冷めていると言ってもいいのかもしれない。最初に受けた印象も、やはりあながち間違っていなかったのだろう。あまり沢北の周りにはいないタイプだ。そう気づくと、沢北はより宮城に興味が湧いた。絶対にこのショーを経て、宮城と仲良くなろう。それならばまずは――。
「ねえ、リョータって呼んでいい?」
「はあ? やだよ、馴れ馴れしいな」
「やだ! リョータって呼ぶから! そんでリョータも俺のことエージって呼んで!」
その我儘としか言えない沢北の言動に、あきれてものも言えないという表情を宮城は浮かべた。沢北はその大きな瞳を期待に輝かせて、なおも宮城を見つめる。しばらくそのまま無言の時間が続いて、承諾しない限り解放されないことを悟った宮城のほうが折れた。
「……勝手にしろよ」
そう言って立ち上がった宮城は、そのまま食堂を去っていく。沢北はその背中に大きな声で「またね、リョータ! 連絡する!」と呼びかけた。
宮城は、その声に振り返ることも、頷くこともせず、ただ右手を軽く上げてひらりと振った。
