はじめて。

「リョータって、キス、したことある…?」
 それ、今聞くのかよ、というのが宮城の正直な感想だった。目の前には今まさに運ばれてきたばかりの、美味そうなパスタが湯気を上げていたからだ。
 実際、沢北のことを若干怪訝な目付きで見てしまったが、沢北はそんな視線は意にも介さない。紅潮した顔で、その瞳は真剣そのものだ。回答を得ない限り、食事に戻らなさそうな沢北に小さくため息をついて、宮城は自分の分のパスタを取り分けながら答えた。のびたパスタは許せない。
「ないよ。そもそも付き合ったのもエージがはじめてだって、言ってなかったっけ?」
「言っ…! …てないよ……」
「そうだっけ?」
 さだかでない記憶に首をかしげつつ、宮城はパスタを口に運んだ。
 うん、今日の選択は正しかった。たまにはいつもと違う選択もしてみるものだ。
 なんとなく納得がいっていないような表情の沢北に、早く食べろと促すように皿を押して目を合わせると、しぶしぶというようにパスタを取り皿に取り始めた。緩慢な動作でパスタを口に運ぶ沢北を見ながら、宮城は取り分けた分を平らげ、まだ残っている分をさらに自分の取り皿に盛りながら、
「エージはしたことあんの?」
と尋ねた。すると、やや食い気味に
「ないに決まってんじゃん!」
 と沢北から強い返答があり、宮城はパチパチと目を瞬かせた。
「決まってんの? 意外だけど」
「え、なんで?」
「だってエージ、めちゃくちゃモテただろ? てか、現在進行形でモテるだろ?」
「そ、それは……」
 ふたりで居るときにも、沢北はそれなりの頻度で声をかけられた。もちろんそれは恋人の宮城にとってあまり面白い出来事ではなかったが、それは沢北のせいではない。それでも沢北は、いつも申し訳なさそうな表情を浮かべていた。今も浮気をしていると責めているわけでもないのに、同じようにバツが悪そうに視線を彷徨わせている。
 この男の不憫なまでの不器用さが、もどかしいと同時に愛おしく、宮城は自然と口角が上がっていた。
「エージがその気なくても、積極的な誰かに奪われててもおかしくないなって思ってた」
 少しだけ揶揄うような色を声に乗せると、沢北は図星をつかれたようで、ビクッと肩を揺らす。
「うー……たしかに、お願いされることはあったけど…」
「へえ、さっすが~」
「ちょっと馬鹿にしてんじゃん…」
「そんなことねえよ。本当にそういうのあるんだなって感心しただけ」
 パスタを巻き付けたままのフォークを一度皿の隅において、沢北はグラスの水を煽った。
「……でも、さすがに断ったよ」
「ふうん?」
「……だって、はじめては好きな人としたいじゃん」
 そう言って上目遣いで見てきた沢北の目が、あまりにも切実な色を帯びていて、宮城は一瞬言葉を失ったのち吹き出してしまった。
「ええ? ここで笑う!?」
沢北が不服そうな表情を見せるのを、宮城はなお目を細めて見た。
「ふはっ、だって、エージすげえ可愛い」
「か、可愛い…?!」
「可愛いよ。そのはじめて、オレとしたいってことでしょ?」
 ニッと笑って言った宮城に、沢北は目を見開いてその顔をカアッと紅潮させた。何か言いたげに口をはくはくと開け閉めしたと思ったら、バッと両手で顔を覆い、沢北はうめくように声を出した。
「…ッ…もお~~~~!!! 俺の恋人、かっこよすぎるって~~~!!! そういうことだけどさあ!!」
「はははっ! うるせ」
「こんなん、うるさくもなるよ…リョータはほんとさぁ……」
 沢北が顔を覆っているのを良いことに、宮城は頬杖をつきながら眼前の恋人をじっと見た。感情表現豊かで、騒々しくて、どれだけ見ていても飽きないその姿に、思わず頬が緩んでしまう。
 こんなに好きなのに、際限なくその想いは積み重なっていくようだ。制御できないほどの気持ちは恐ろしさすら孕んでもいたけれど、つねに予測もできないほどの多幸感を宮城に与えていた。今はただ、それに浸っていても良いだろうかと、別段信じてもいない神様に許しを請いたい気分だった。
 宮城がトントンとテーブルを指で叩いて、沢北はその両手から顔をやっと上げた。
「エージ、それ早く食べちゃえよ」
 その目をのぞき込みながら言った宮城の言葉を口をポカンと開けて聞いた沢北は、瞬間そこに込められた意味を理解して、ハッとしたようにガチャガチャと喧しくカトラリーを手に取ってパスタを巻き付け始めた。
「すぐ食べるから! ちょっとだけ待って、ちょっとだけ!」
 口いっぱいに頬張って、一生懸命飲み込もうとしている姿は小動物のようで、宮城はこみ上げる笑いが堪えられなかった。
「ふっ、ちゃんと噛んで食えよ。喉に詰まるぞ」
「ふんっ! らいじょぶ!」
 ほら、と先ほど煽って空になっていたグラスに水を入れて差し出してやると、無邪気に沢北がにっこりと笑った。宮城も眉を下げて微笑み返す。
 沢北とする、はじめてのキスはどんな感じだろうか。想像はつかないけれど、きっと嬉しくて愛おしくて、こんな風にまた目を合わせて笑い合うんだろう。それだけはほとんど確信を持って予想できた。
 そんな風に沢北との間にある沢山のはじめてを思うだけで、こんなにも浮かれてしまう自分が少し馬鹿みたいでもあったけれど、真っ直ぐな沢北の愛情表現に触発されて変わっていく自分がそれ以上に愛おしくもあった。
 お互いにこうして影響し合いながら、時間を過ごしていきたい。その願いは、宮城にとって沢北の存在がとても大切で、特別なものだという想いそのものだった。 
 
    *

 沢北の部屋で何度目かのキスを重ねていたとき、その隙間で沢北が宮城を伺うように言った。
「あの、さ、リョータのこともっと触りたいんだけど、触ってもいい?」
「…へ?」
宮城はキスの気持ちよさで、意識がふわふわし出していたため、意味のある言葉を吐けず、ぽかんとしてしまう。
「触るって、どこを?」
 ぼんやりしたまま沢北を見上げて口にすると、沢北がボッと音が出そうなほど真っ赤になって、急にその顔を両手で覆って天を見上げ出したので、宮城はキスを中断されて不服な気持ちになった。その上、なぜかこの図体の大きな男はうめくような声を漏らすばかりで、焦れた宮城は少しばかり険のある声が出る。
「なんだよ?」
「うう~~あ~~全部! リョータの身体、隅から隅まで触ってない場所がないくらい全部触りたいの!!」
 唐突に吹っ切れたように叫んだ沢北に、今度は宮城のほうが顔から火が出るのではないかというほど真っ赤になった。
「は、ハァ⁉」
「だって、キスしてるときのリョータ可愛すぎるし、全部隅々まで感触知りたいし、とにかく愛でたい!」
「え…変態かよ…」
思わずそのままの感想が口からこぼれ出てしまう。やべと思った瞬間、沢北はびゃっと飛びかかるように宮城に抱きついた。
「ちっがーーう! リョータのこと好きだから、全部知りたいの!!! たしかに言い方はちょっと変態ぽかったけどさあ…」
 グズグズとお願いしている本人に泣きつくように、強く抱きしめた宮城の頭にその頬をすり寄せてくる沢北が、お願いの内容とあまりにも乖離していて宮城は可愛くて仕方なかった。腕を後頭部に伸ばして、よしよしと撫でてやると、嬉しそうにふふふと笑って頭を手に押しつけてくる。
これだから困るのだ。恋人になってからよりそれを実感させられたが、沢北は甘えるのがとんでもなく上手い。正直なところ、宮城は沢北のお願いはなんだって叶えてやりたくなってしまう。
「触ってもいいけど、オレも触りたい」
「え⁉ あ、え? 俺の身体を?」
「うん」
 沢北の目を見ながら、宮城は片方の耳殻をふにふにと弄ぶように触って、にんまりと笑った。目を見開いた沢北の顔がカアッと紅潮していく。
「リョータって、たまに本当にかっこよすぎて、心臓に悪いよね…」
「ふっ、ばぁか」
 宮城は耳を弄んでいた手はそのままに、ぐいっと沢北の顔を引き寄せて、噛みつくようにその唇に口づけた。舌を絡め合いながら、沢北の手が宮城のTシャツの下から侵入する。その熱い掌が宮城の腹筋をまさぐるように撫で、宮城は小さく声を漏らした。
「服、脱がせてもいい?」
 キスの合間に沢北が発した声は、あまりにも切羽詰まっていて必死だったが、宮城もそれを笑うだけの余裕はすでになくなっていた。
「ん。エージも脱いで」
 なんの躊躇もなくバッと勢いよくTシャツを脱ぎ捨てた沢北の上半身が目に入り、宮城はついその均整のとれた美しい身体をじっと見つめた。もう何度も見たことがあるはずなのに、触れたいという衝動が襲ってきて鼓動が早まる。
宮城のTシャツに手をかけて一気に引き抜こうとする沢北に協力するように両手をあげて、裸になった上半身同士を合わせるように抱き合う。ただ肌が触れているだけなのに、少ししっとりとして温かいその感触が信じられないほどに気持ち良かった。
「なんかやばい…気持ちよすぎるんだけど…」
「ン…触るだけでいいの?」
「…へ?」
 少しだけ身体を離して、目を合わせて宮城は端的に言った。
「だから、セックスしないの?」
「セッ……⁉」
 真っ赤になってまた言葉を失ってしまった沢北は、挑発的に笑んだ宮城の顔を見て、その目をキョロキョロと彷徨わせたかと思うと、大きな手で両目を覆って再び天を仰いだ。
「も~~なんでリョータってこう思いっきりがいいかな…」
 トンと宮城の肩に額を預けて沢北はうめいた。それを笑っていると、ガバリと起き上がった沢北に両肩を掴まれる。向き合ったその顔は何かを決意したような表情をしていて、紅潮は先程よりは落ち着いていた。
「俺はじめてなんだけど、リョータもはじめてなんだよね…?」
 恐る恐るというように、改めて宮城に問う沢北の顔には緊張が満ちていた。
「うん、そうだよ」
その答えを噛みしめるように「そっかあ」とつぶやき、にぱっと嬉しそうに沢北は笑った。
「お互いにはじめてなの、やっぱり嬉しいな」
 そう言って、今度はふわりと優しく宮城を抱きしめた沢北の背中に、宮城もゆるく腕を回した。
「オレらふたりとも、恋愛初心者なのに、なんか一気に飛び越えちゃったな」
「それはなんというか、若気の至りというか…」
「ははっ」
「あのさ、セックスもその、いずれはもちろんしたいんだけど、やり方とかもわかんないし、一緒にいろいろ調べてみてちょっとずつ試してみようよ。それでできなかったとしても、それはそれでいいやって思うし」
「…ん、そうだな。そうしよう」
「…今日は、いろんなとこ触ってもいい?」
 つ、と沢北の手が宮城の脇腹あたりをなぞり、宮城はびくっとその身体を震わせた。こくりと頷き、ぎゅっと腕に力を込めた宮城が、沢北の背骨をなぞるように手を這わせる。そして、引かれ合うようにふたりはまた深い口づけを交わした。