午後の講義が休講になった上、練習も体育館の事情とかで急に無くなってしまった。ふいに時間が出来た沢北は、いつものように宮城の大学へと足を向けた。
『今日リョータの練習終わるぐらいに行ってもいい? 練習なくなった』
と一応連絡すると、宮城からすぐに返事が来た。
『いいけど、課題が終わらねー。ごめん』
この「ごめん」は「構ってやれない、ごめん」の意味だろうなと思って、沢北は自分の頬がだらしなくゆるむのを感じる。課題がなければ構ってくれる気があるということだ。『OK。気にしないで』と簡潔に返事をして、端末を鞄にしまう。
リョータが申し訳なくなる必要なんてどこにもないのにな、と沢北は思った。構ってくれる余裕はないかもしれないが、同じ空間で時間を過ごせると思うだけでもこんなに心が明るくなって、足取りが軽くなってしまうというのに。宮城は本当に自分の価値を低く見積もりすぎなのだ。
はやる心のままいつもの道を辿っていたら、思ったより早めに着いてしまったようで、宮城はチームメイトたちとクールダウンの途中だった。その様子を体育館の椅子に座って眺めていると、もはや知った顔のチームメイトのひとりが「エージ!」と手を振ってくる。その声とほぼ同時に宮城も沢北のほうを見、笑って手を上げた。沢北も笑って手を振り返した。
ほどなく練習が終了し、チームメイトたちと少し話した宮城が、その輪を抜けて沢北のほうに駆け寄ってくる。この光景もすでにいつものことで、宮城の後ろでチームメイトたちが微笑ましそうな表情をしていた。それを見るたび、リョータはここで愛されているんだな、と沢北は嬉しくなった。そんな気持ちになっていることを宮城はきっと知らないだろう。わざわざ体育館まで来なくていい、とよく言っているから。
「ごめん、待たせたな」
「ううん、俺が早く着いちゃっただけだし。お疲れさま」
「ん。すぐ準備してくるからもうちょい待ってて」
「ゆっくりでいいよ。外のベンチにいるから」
そう言いながら、沢北は練習ですこし崩れていた宮城の前髪をかきあげ、おでこにちゅっと軽く口づけた。くすぐったそうに笑った宮城は「分かった」と沢北の腰を軽く叩くと、背を向けてロッカールームに走っていく。
その背が見えなくなってから、沢北は体育館の外にあるベンチに向かった。今の季節なら外で待っていても問題ないだろう。もう何度も通った道を歩きながら、先ほど感じた汗の匂いと腰に触れた手の温もりを反芻した。
――もっと触れたいな。課題で忙しいと言っていたけど、部屋に入って一度ぎゅうっと抱きしめることくらいなら許されるだろうか。本当はずっと触れていたいけれど。
宮城は、無自覚なようだが自分の懐に入れた人間に対しては自ら近寄っていくが、そうでない人間に対しては一定の距離を保つタイプだ。その上、一気に距離を詰めてくる相手に対して警戒心も強い。辛抱強く接してきたある日、宮城にその距離を許されたことが分かって、沢北は内心ガッツポーズしたし、嬉しくて少し泣いた。宮城には「なんで泣いてんだよ…」と呆れ笑いされたが、ぎゅうぎゅう抱きしめた腕をポンポンと叩かれて、さらに泣いた。沢北はもともと人との距離は近いほうだという自覚があったが、触れるたび際限なくもっと触れたいと欲が湧いてくる相手は宮城が初めてだった。
ベンチに座って、昔のことからつい最近の情事の最中の宮城にまで沢北の思考が飛んだ頃、後ろから両肩をドンッと強めに叩かれて、思わず「うわっ!」と声が出てつんのめる。振り返ると、いたずら成功とでも言うようにニヤリと笑う宮城がいた。
「もう! 普通に声かけてよ。びっくりすんじゃん」
「だってエージ、反応大きくて面白いんだもん。待たせたな。行こうぜ」
そう言うと、宮城は沢北が立ち上がるのを待たずに、スタスタと歩いていってしまう。慌てて少ない荷物を持って立ち上がり宮城を追った。その後ろ姿が少し浮かれているのは気のせいではないと、もう沢北には分かっていた。
――トンッ。
背中から肩にかけて重みを感じ、ふいに沢北は現実に引き戻された。このサイズ感はリョータだ。というか、今この部屋には宮城しかいないのだから、他に選択肢などないのだが。
宮城が課題に集中しなければならなかったため、沢北も先日手に入れたものの、読む時間がなかったバスケ雑誌を取り出していた。読んでいるうちに、すっかり集中していたようだ。
「課題、終わったの?」
「んーん。まだだけど、目処は立ったから。ちょっと休憩」
肩にあごをのせて自分の身を委ねるようにするのは、宮城が甘えるときにする癖だった。最初にされたときには、あまりにも可愛すぎて、抱きしめようと興奮気味に振り返ったら、はあ? みたいな顔をしてスッと離れていってしまった。まるで構ったら逃げてしまう猫みたいだ。その失敗に学んだあとは、ふいに肩にあごが来ても、反応せずにその出方を待つようになった。いつもその不意打ちに叫びだしたくなるほど、血が集まる感覚があったが、我ながらよく我慢したと思う。今ではその不意打ちにも慣れて、甘えてくるその重みと背中に触れる鼓動を感じるたびに、じんわりと愛おしさを覚える。
「なんか面白い記事ある?」
「あ、リョータが好きなチームの記事あったよ」
「おー後で見せて」
「うん」
沢北の肩にあごをのせて、背中から全体重をかけるようにのしかかる体勢で宮城は雑誌をめくる沢北の手元を見ているようだ。しばらくすると、沢北の耳元でかすかな寝息が聞こえてきた。「エージの体温、眠くなるよ」と前にリョータが言ってたな、と思い出す。愛しい人の抱き枕になれるなんて最高の栄誉である。目処は立ったと言っていたし、もうそんなにかからないのだろう。練習終わりで疲れているのだろうし、自分も宮城の体温を感じられるのはうれしい。雑誌を読み終わるころまではこのまま寝かせておこうと、また手元の雑誌をめくる。
弱みを見せるのが極端に苦手な宮城が無条件に甘えられる存在であるということは、自分が宮城の特別である何よりの証左だと沢北は思った。
リョータ、俺だけに甘えてよ。俺だけがリョータを甘やかす権利を持っているって言って。
それは危ういところもある独占欲だと分かっていながら、沢北は背中の甘い体温にそう願わずにはいられなかった。
『今日リョータの練習終わるぐらいに行ってもいい? 練習なくなった』
と一応連絡すると、宮城からすぐに返事が来た。
『いいけど、課題が終わらねー。ごめん』
この「ごめん」は「構ってやれない、ごめん」の意味だろうなと思って、沢北は自分の頬がだらしなくゆるむのを感じる。課題がなければ構ってくれる気があるということだ。『OK。気にしないで』と簡潔に返事をして、端末を鞄にしまう。
リョータが申し訳なくなる必要なんてどこにもないのにな、と沢北は思った。構ってくれる余裕はないかもしれないが、同じ空間で時間を過ごせると思うだけでもこんなに心が明るくなって、足取りが軽くなってしまうというのに。宮城は本当に自分の価値を低く見積もりすぎなのだ。
はやる心のままいつもの道を辿っていたら、思ったより早めに着いてしまったようで、宮城はチームメイトたちとクールダウンの途中だった。その様子を体育館の椅子に座って眺めていると、もはや知った顔のチームメイトのひとりが「エージ!」と手を振ってくる。その声とほぼ同時に宮城も沢北のほうを見、笑って手を上げた。沢北も笑って手を振り返した。
ほどなく練習が終了し、チームメイトたちと少し話した宮城が、その輪を抜けて沢北のほうに駆け寄ってくる。この光景もすでにいつものことで、宮城の後ろでチームメイトたちが微笑ましそうな表情をしていた。それを見るたび、リョータはここで愛されているんだな、と沢北は嬉しくなった。そんな気持ちになっていることを宮城はきっと知らないだろう。わざわざ体育館まで来なくていい、とよく言っているから。
「ごめん、待たせたな」
「ううん、俺が早く着いちゃっただけだし。お疲れさま」
「ん。すぐ準備してくるからもうちょい待ってて」
「ゆっくりでいいよ。外のベンチにいるから」
そう言いながら、沢北は練習ですこし崩れていた宮城の前髪をかきあげ、おでこにちゅっと軽く口づけた。くすぐったそうに笑った宮城は「分かった」と沢北の腰を軽く叩くと、背を向けてロッカールームに走っていく。
その背が見えなくなってから、沢北は体育館の外にあるベンチに向かった。今の季節なら外で待っていても問題ないだろう。もう何度も通った道を歩きながら、先ほど感じた汗の匂いと腰に触れた手の温もりを反芻した。
――もっと触れたいな。課題で忙しいと言っていたけど、部屋に入って一度ぎゅうっと抱きしめることくらいなら許されるだろうか。本当はずっと触れていたいけれど。
宮城は、無自覚なようだが自分の懐に入れた人間に対しては自ら近寄っていくが、そうでない人間に対しては一定の距離を保つタイプだ。その上、一気に距離を詰めてくる相手に対して警戒心も強い。辛抱強く接してきたある日、宮城にその距離を許されたことが分かって、沢北は内心ガッツポーズしたし、嬉しくて少し泣いた。宮城には「なんで泣いてんだよ…」と呆れ笑いされたが、ぎゅうぎゅう抱きしめた腕をポンポンと叩かれて、さらに泣いた。沢北はもともと人との距離は近いほうだという自覚があったが、触れるたび際限なくもっと触れたいと欲が湧いてくる相手は宮城が初めてだった。
ベンチに座って、昔のことからつい最近の情事の最中の宮城にまで沢北の思考が飛んだ頃、後ろから両肩をドンッと強めに叩かれて、思わず「うわっ!」と声が出てつんのめる。振り返ると、いたずら成功とでも言うようにニヤリと笑う宮城がいた。
「もう! 普通に声かけてよ。びっくりすんじゃん」
「だってエージ、反応大きくて面白いんだもん。待たせたな。行こうぜ」
そう言うと、宮城は沢北が立ち上がるのを待たずに、スタスタと歩いていってしまう。慌てて少ない荷物を持って立ち上がり宮城を追った。その後ろ姿が少し浮かれているのは気のせいではないと、もう沢北には分かっていた。
――トンッ。
背中から肩にかけて重みを感じ、ふいに沢北は現実に引き戻された。このサイズ感はリョータだ。というか、今この部屋には宮城しかいないのだから、他に選択肢などないのだが。
宮城が課題に集中しなければならなかったため、沢北も先日手に入れたものの、読む時間がなかったバスケ雑誌を取り出していた。読んでいるうちに、すっかり集中していたようだ。
「課題、終わったの?」
「んーん。まだだけど、目処は立ったから。ちょっと休憩」
肩にあごをのせて自分の身を委ねるようにするのは、宮城が甘えるときにする癖だった。最初にされたときには、あまりにも可愛すぎて、抱きしめようと興奮気味に振り返ったら、はあ? みたいな顔をしてスッと離れていってしまった。まるで構ったら逃げてしまう猫みたいだ。その失敗に学んだあとは、ふいに肩にあごが来ても、反応せずにその出方を待つようになった。いつもその不意打ちに叫びだしたくなるほど、血が集まる感覚があったが、我ながらよく我慢したと思う。今ではその不意打ちにも慣れて、甘えてくるその重みと背中に触れる鼓動を感じるたびに、じんわりと愛おしさを覚える。
「なんか面白い記事ある?」
「あ、リョータが好きなチームの記事あったよ」
「おー後で見せて」
「うん」
沢北の肩にあごをのせて、背中から全体重をかけるようにのしかかる体勢で宮城は雑誌をめくる沢北の手元を見ているようだ。しばらくすると、沢北の耳元でかすかな寝息が聞こえてきた。「エージの体温、眠くなるよ」と前にリョータが言ってたな、と思い出す。愛しい人の抱き枕になれるなんて最高の栄誉である。目処は立ったと言っていたし、もうそんなにかからないのだろう。練習終わりで疲れているのだろうし、自分も宮城の体温を感じられるのはうれしい。雑誌を読み終わるころまではこのまま寝かせておこうと、また手元の雑誌をめくる。
弱みを見せるのが極端に苦手な宮城が無条件に甘えられる存在であるということは、自分が宮城の特別である何よりの証左だと沢北は思った。
リョータ、俺だけに甘えてよ。俺だけがリョータを甘やかす権利を持っているって言って。
それは危ういところもある独占欲だと分かっていながら、沢北は背中の甘い体温にそう願わずにはいられなかった。
