マイ・サンシャイン

2023.5発行
マイ・サンシャイン [沢リョ/R-18/新書(二段組) /本文72P]
渡米後に偶然再会したふたりが仲良くなってくうちにキスしてお付き合いが始まるものの、宮城の帰国で別れることになり、数年後に代表チームで再会してよりを戻すお話です。
※深+リョ(やや深→リョ)の描写あります(精神的なもの)
通頒はこちら→ とらのあな


本文サンプル
 「沢北?」
「あれ? 湘北の…7番?」
 その日は近くのプレップスクールとの合同練習のために、相手校の体育館に朝からチームメイトたちと出向いていた。そこにあのスーパーエースがいた。お互いにポカンと見合ってすぐ、沢北は頭を抱え、片方の手のひらを宮城に向けてうなり始めた。
「ちょっと待って……えーーっと……あー! 宮城だ! 湘北の宮城だろ?」
 名前をどうにか思い出せたのが嬉しかったようで、沢北はその顔を勢いよく上げると、指を指しながら無邪気に笑いかけてくる。人を指さすなと思ったが、沢北のその勢いに面食らってしまい、宮城は返事をするのがやっとだった。
「お、おう。覚えてたんだな」
「うん、久しぶり! アメリカ広いのに、こんな偶然あるんだなあ」
「久しぶり。マジでびっくりしたわ」
 入口付近で立ち話をしていると、すでに移動していたチームメイトから「リョータ」と声がかかる。すぐに行くと返事をし、宮城は沢北に振り向いた。
「じゃあ今日はよろしく」
「よろしく!」
 そう言ってこぶしを突き出す沢北に虚を突かれつつも、こつんと軽くこぶしをぶつけて、チームメイトたちのほうへと小走りに向かう。去り際の沢北はとても嬉しそうな顔をしているように見えた。
 渡米後まだ半年ほどしか経っていない宮城は、練習中に雑談をするような余裕はなかったが、沢北のプレーは自然と目に入ってきた。そのプレーはあの夏に見たその面影は残しつつも、さらに速く、上手く、アグレッシブになっていた。日本にいたころは大きいほうだった沢北の身長も、この地では埋もれて見えるが、だからと言って沢北が負けているということもない。これまでの時間、たしかにここで闘い、そして沢北は勝ち取ってきたのだなと思った。
 そんなことを考えていた時、ふいに沢北が宮城のほうを向き、目がバチッとかち合った。すると沢北は目を細めて挑発するようにニッと笑い、そしてまた練習に戻っていく。それは本当に一瞬の出来事で、宮城はただ目を見開いて沢北を見つめた。
あの野郎、向かってこいってことかよ。それに笑い返すだけの余裕がない自分が悔しかった。そうして宮城もまた、コートの中に集中していった。
 合同練習が終わったころ、帰る準備をしている宮城のもとに駆け寄ってきた沢北に、「お疲れ!」と元気よく声をかけられる。宮城が声のほうを振り仰いで見ると、にこにこと満面の笑みを浮かべる沢北がいた。
「宮城って、今日この後どんな予定? もしこのまま解散なら、せっかくだしご飯でもどう?」
 コート上での不敵な印象とは違い、すげえ人懐こいやつなんだなという感想がまず浮かび、とはいえありがたいなとも宮城は思う。沢北が渡米してからの話を聞いてみたいとは思っていたが、ほとんど話したこともない相手を気安く食事に誘えるような性格をしていないのは、誰よりも自分が一番よく分かっていた。
「宮城? 今日は無理そう?」
 何事か思案しているような宮城に、沢北は予定があるのかと早合点して、少ししょんぼりしている。
「あ、いや。このあと大丈夫。飯いこうぜ」
 その返事を聞いて、沢北はパアッと顔をほころばせた。
「やったー! じゃあちょっと待ってて。準備してくるから」
「おう、ゆっくりでいいから」
 沢北は「分かった!」と言いながら、すでに走り出していて、宮城は無邪気なその姿を見送りながら思わず笑みをこぼした。

*

 それからふたりは急速に距離を縮め、いつの間にかまるで旧知の仲のように気の置けない友人同士になっていた。まるでパズルのピースがぴったりとはまるように、お互いの性格が唯一無二の相性なのかもしれないと思えるほどに。
 その頃には、ふたりはほとんどの休日を共に過ごしていた。沢北が成績優秀者として今年から寮で一人部屋を与えられていたから、そこを宮城が訪ねることがもっとも多かった。
その休日も一緒にバスケをしてから、沢北の部屋でのんびり過ごそうということになり、宮城は部屋にあった今月のバスケ雑誌を読んでいた。沢北はそんな宮城を後ろから抱え込むようにしてお腹に腕を回し、たまに頭や肩、背中などに顔をすり付けている。すっぽりと腕の中におさまる宮城の身体を「抱き心地がいい」と評された時には怪訝な顔をしてしまったが、ぬいぐるみを抱いているようで癒やされるらしい。特に害はないのでそのままにしていたら、部屋で過ごす時の定位置のひとつになってしまった。
 沢北はパーソナルスペースが狭く、ボディータッチがかなり多いほうだ。一方の宮城はパーソナルスペースは広めだが、一度心を開いた相手には一気に近くなる。急速に仲良くなったふたりの身体的な距離も、一気に近くなったのは言うまでもなかった。
 だから、その時もなにも身構えることなく宮城は返事をした。実際、呼びかけた時の沢北の声はいつもとなんら変わらないもので、そこにはなんの前触れもなかった。
「リョータ」
「ん?」
 ぐりぐりとその額を宮城の肩に押しつけるようにした沢北のほうに、雑誌から顔を上げて向くと、思いのほか近くに沢北の顔があった。宮城を見つめている大きな目が、いつもよりもずっと近くで煌めいている。その瞳は宝石のように綺麗だった。
「…ね、リョータ、ちゅーしたい」
「は?」
 宮城は囁くような沢北の声音にぞくりとした。唐突なその言葉の意味を宮城の頭は全く処理できず、ただ固まってしまう。そんな宮城の戸惑いをよそに、沢北の手が顔に添えられ、沢北のほうに傾けられる。そして、至近距離に迫った沢北の目蓋が閉じられるのを認識した瞬間、その唇が触れていた。
 沢北は何度かちゅっちゅっと触れるだけのキスを繰り返しながら、より唇がしっかりと合わさるように角度を変える。宮城はぎゅっと目蓋を閉じて、ただされるがままになっていた。自分の鼓動がうるさいほど大きく聞こえる。まるで全身が心臓になったかのように激しく脈打っていた。
 深く合わされた唇に塞がれて、息が苦しくなってくる。鼻で息をすればいいと頭では分かっているのに、宮城は混乱してうまく息ができなかった。少しだけ隙間ができた瞬間に息をしようと口を開くと、それに誘われるようにぬるりと沢北の舌が侵入してきて、好き勝手に宮城の口の中を動き回った。
「…ンっ……」
 その舌に翻弄されて、鼻から抜けるような声が漏れる。頭ひとつ分ほど背が高い沢北から覆い被さるように唇を奪われると、まるで頭から喰われてしまうかもしれないという錯覚すら覚えた。

*

「シーズンが終わったら帰国する」
 できるだけその言葉になんの感情も乗らないよう、平坦な声音で宮城は言った。沢北はそれを聞いて一瞬ポカンとした表情を浮かべたあと、ハッとしたように宮城を見た。
「…もう、決めたんだ?」
「うん。帰ってすぐ、Bリーグのトライアウト受ける予定」
「…そっか」
 沢北の静かな反応に、宮城は少し面食らった。もっと苛烈に、泣き叫びながらすがりつき、帰国を止められるのではないかと思っていたから。――いや、そうではない。そう言われたところで応えるつもりはさらさら無いくせに、身勝手にも沢北から引き留められることを望んでいたのだ。この期に及んでそんなことを望んでしまっている自分が、とんでもなく卑しいものに思えた。
「だから、別れようエージ」
「………は? なんで?」
 沢北の声が揺れているのに気付かないふりをして、宮城は笑った。
「なんでってアメリカと日本、どんだけ遠いと思ってんだよ」
「俺は遠距離でも大丈夫だよ!」
「オレは無理だよ」
「そんなのッ…やってみないとわかんないじゃん…!」
「だってオレたち、たった半年だけの関係じゃん。これ以上深入りしてもしょうがねえだろ」
 お前のことを、これ以上縛りたくない。だってエージはどこまででも翔んでいける。そんな時にオレの存在はきっと足枷になるから。だから、オレのことなんかに時間も心もさかなくていい。
「……本当に、リョータはそう思ってるの?」
「うん。今なら楽しかったなっていい思い出にできるだろ」
 こんなときばかり、本心を隠して思ってもないことをすらすらと話せてしまう自分が馬鹿みたいだなと思った。思い出になんてできるわけない。本当に思っていることなんて、欠片も伝えられないのに。
「……分かった。リョータがそういうならそうしよう」
「……ん。今までありがとう」
 沢北の顔を見られず、下を向いたまま言った宮城の目の前にずいと手が差し出された。
「最後に握手くらい、いいでしょ?」
 思わず顔を上げた宮城の眼前には、今までに見たこともないような微笑みを浮かべる沢北がいた。呆然とその顔を見ながら、宮城は差し出された手を握った。それはいつものように、少しだけ体温が高い沢北の手だった。思わず宮城はその手に力を込めた。
「応援してる。ずっと、エージのこと見てるよ」
 沢北は一瞬目を見開き、そして苦々しく笑いながら強く手を握り返した。
「……リョータは本当に、ひどいよ」
 沢北の頬を一筋の涙が流れた。
 もうこの涙を拭う権利を持っていないということが、胸が引き裂かれるようにつらかった。誰かがこの綺麗な涙を流す男のことを、いつか抱きしめるだろうか。ひとりで泣いてほしくないと願う気持ちと、誰にもその隣を許してほしくないという気持ちが湧き上がった。本当に自分勝手な人間で嫌になる。これ以上この場にいたら、いろんな想いが溢れてしまいそうで、宮城はパッとその手を離した。
「…じゃあ帰る。元気で」
 荷物を持ち、扉に向かって歩き出す。もう沢北のほうは振り返らなかった。
「ばいばい」
 背中で聞いた沢北の小さな声がいつまでも宮城の耳にこびりついていた。

*

「お邪魔しまーす」
「ピョン」
 以前に3人でお邪魔した時もそうだったが、相変わらず深津の部屋はかなりモノが少なく、すっきりとしていた。長年の寮生活で家事全般があまり得意でないことが分かって、必要最低限のものしか持たないようにしていると言っていたが、それにしてもその徹底ぶりがすごい。ソファに荷物を置いて、何も置かれていないテーブルに買ってきたつまみ類を並べていると、深津がキッチンから酒瓶と酒器、水を持ってきた。
「この日本酒、リョータが好きそうだなと思ってたから、一緒に飲みたかったんだピョン」
 そう言いながら、深津は銀色のシンプルな片口に酒を注いでいる。あまりにも率直なその言葉に、宮城は別のグラスに水を注ぎながら、思わず深津の顔を見た。
「え、あ、そうだったんスか…」
 深津が自分の好みを覚えていて、それを一緒に飲みたいと考えてくれていたことが単純に嬉しくて、宮城はそう言うのがやっとだった。耳が熱くなるのを感じて、誤魔化すように自分で注いだばかりの水を飲み干す。当の本人は涼しい顔で、手に持っていた酒瓶を冷蔵庫に戻しに行った。
この人はたまに、不意打ちで人を喜ばせるようなことをさらっと言うから困る。往々にして本人はただ、思ったまま口にしているだけなのだからよりタチが悪いというものだ。三井にも似たところがあるので、松本がふたりのそれにたじろいでいるところを幾度も見た。4人でいる時には当人以外でこの気持ちを共有すれば良いが、1対1ではそうもいかない。未だに不意打ちのそれに慣れることができないでいるのも致し方ないと思う。
向かいに座った深津の手から「一杯目くらいつぎますよ」と片口を受け取った。いつも結局一杯目だけで、後は手酌になるので、これはふたりで飲むときのお決まりの形式のようなものだ。お互いに注ぎあった杯を軽くあわせて口をつけると、芳醇な香りが鼻を抜けた。
「あ、美味しい。最初は芳醇な甘口かなって思ったけど、後味はわりとあっさりしてて面白いスね」
「ん、美味いピョン。好きだったピョン?」
 ドヤ顔でこちらを見てくる深津が可愛くて、宮城は小さく吹き出した。
「ふふっ。うん、好きです。ありがと一成さん」
 その言葉に深津は満足そうに目を細めて微笑んだ。たまにこうして宮城のことを慈しむような視線を深津は寄越す。その度、宮城はくすぐったくてそわそわするような心地がした。一方で、どこまでも甘えてしまいたくなるような安心感で心の奥がぽかぽかした。

*

 沢北と再会することになったのは、宮城が24歳で初めて代表チームに選抜され、壮行会に参加した初夏のことだった。やや緊張もあったが、知った顔も多い中で談笑していると、入り口のほうでワッと声が上がる。その日帰国便に遅延が生じたという沢北が、会場に遅れて到着したようだ。NBAでの活躍もめざましく、名実ともに日本のエースとなった男は関係者の偉い人たちに囲まれながら、にこやかに挨拶をしている。
 その姿をちらりと伺い見ながら、案外平穏な自分の心に宮城はほっと息を吐いた。NBAでのプレーはすべてチェックしていたから、それで慣れたのかもしれない。プレーに影響が出るようなことはないと思っていたが、コート外で変な態度を取れば周囲に余計な心配をさせてしまうかもしれないと思っていたから、それが杞憂になりそうなのは何よりだった。
「さすがスーパーエース様。あれはしばらく抜けられなさそうだな」
「どうせしばらくは一緒なんだ。俺らはお偉方のあとでいくらでも話せるべ」
「まあそれもそうだな」
 なんとなく集まって話していた三井と河田が沢北から目線を外して、また話は今年のチーム状況に戻っていく。宮城もまた、沢北から意識を外した。
 メインの壮行会が終わり、選手同士の親睦会が行われる会場へ移動するよう号令がかかる。かしこまった場からやっと解放されると思うと、つい口からため息がこぼれてしまい、隣に立っていた深津が小さく笑った。
「お疲れピョン」
「一成さんはさすがにもう慣れてるスね」
「そうでもないピョン。経験則で、適当に抜き方が分かってるだけ」
「あーなるほどね」
「あとは酒を飲むだけピョン」
「ははは」
 移動する群れの半ばあたりを歩いて会場に着くと、入り口のすぐ横で沢北と監督が立ち話をしていた。移動してきた集団にふと視線を向けた沢北と目が合い、その瞳が優しく細められる。宮城は急に渇きを覚えて唾を飲み込んだ。その顔から目はそらせなかった。
「久しぶり、リョータ」
 喧噪の中で、すぐ横を通るタイミングでほとんど自分だけに聞こえるような音量で声をかけられ、ドクンと自分の鼓動を強く感じる。振り絞るように「おう」とだけ返して、振り切るように顔をそらし、そのまま横を通り過ぎた。
 案外大丈夫だなんて、そう思いたくて自分に言い聞かせていただけだった。目が合うだけで、声を聞くだけでこんなにも胸がいっぱいになってしまう。友人として過ごしていた時と変わらずに沢北が笑いかけてくれることが、泣きそうなほど嬉しくて、どうしようもなく切なかった。

*

「リョータ」
 ふわふわとした意識の中で、名前を呼ばれて意識が少しずつ浮上する。なんだかふかふかしたところに座っている感じがして、部屋に戻ってきたのかなと回らない頭で宮城は思った。
「一成さん…?」
 意識が途切れる前から世話を焼いてくれていた同室の先輩が運んでくれたのだろうと、重たい瞼をなんとか上げる。
「え…? エージ?」
 夢だろうか。眼前に沢北がいる。沢北が、いる?
「な、んで…?」
 ベッドに座った宮城を下からのぞき込むようにしゃがんでいた沢北の瞳を、宮城はただ呆然と見返した。目が合った沢北は、安心したように微笑んでいた。
「深津さんと部屋、交換してもらったんだ」
「交換?」
「うん」
 立ち上がった沢北が水のペットボトルを持って、宮城の隣に座る。「飲める?」と手渡されたそれをよく分からないまま受け取って口に運んだ。冷えた水が喉を通って、少しだけぼーっとした頭がはっきりする。とはいえ、酔いの引かない頭で必死に考えても、ただそこに沢北がいるということ以外は何も分からなかった。なぜ深津と沢北が部屋を交換することになっているのか。部屋までどうやって帰ってきたのか。なんで、沢北はオレのことをそんな愛おしそうな目で見るのか。頭の中はぐちゃぐちゃで、意味のある答えなど導き出せそうにもなかった。
 混乱の最中で手元のボトルを沢北に抜き取られ、ベッドサイドのローテーブルに置かれるその様子を宮城は無意識に目で追った。テーブルがトンという音を立てるのと、沢北が宮城に振り返ったのはほとんど同時だった。その瞳はフットライトだけの薄暗い部屋の中で、不自然なほど煌めいて見える。催眠術にでもかかったかのように目を離せないでいると、不意にその手を引かれ、沢北の胸に倒れ込むようにとらわれてしまう。
 そのたくましい胸も、背中に回された力強い腕も、その身体から香る沢北の匂いも、その何もかもに脳内の全てを支配されたような感覚がして、宮城はうまく呼吸ができなかった。