One scene of our youth上[深+松+三同大学if/全年齢/新書(二段組)/本文72P]
深+松+三が同大学同学科に入学し、バスケをしたり、ご飯を食べたりしている大学生活の話です。
(上巻は大学1-2年生時)
通頒はこちら→ とらのあな
本文サンプル
入学式の翌々日、新入生向けオリエンテーションに出席するために、松本は朝から大学に向かっていた。大学から徒歩15分の家を出発して数分、少し先に見慣れた背中を見つける。
「深津!」
よく通るその声に振り向いた深津は、立ち止まって松本をその場で待った。松本は小走りに深津との距離を詰める。松本の家から徒歩2分の場所に住んでいる深津もまた、同じオリエンテーションに出席するため同じくらいの時間に家を出たのだろう。山王での生活で染みついた時間感覚は伊達ではないようだ。
「おはよう」
「おはようピョン」
追いついた深津は、いつもと変わらず淡々としているものの、長い付き合いの松本には分かる程度の少しだけ浮ついた空気があった。それはきっと、今日の午後、スポーツ特待生と上級生が揃っての初めての本格的な練習が予定されているからだ。松本は深津と並んで歩きながら少し声を弾ませた。
「いよいよだな、今日」
一般入学の同級生も含めると、同学年の全員が揃うのはまだ先のことになるだろうが、バスケ部初のスポーツ特待生として入部する自分たちが、早々にチームの中心になっていくことを期待されているのは明白だ。松本は、自分の中を心地良い緊張感が満たすのを感じていた。
元々そう動じるほうでもないが、むかし山王の練習に初めて参加した日のことを思い返すと、やはり今日よりもずっと悪い意味でそわそわしていた。高校3年間で随分と精神面でも鍛えられたのだろう。期待される役割へのプレッシャーは感じながらも、変に虚勢を張るわけではなく、ただ今できる自分の精一杯が出せればいいと落ち着いた心で思えた。
そう思うと、松本は新しいチームでバスケができることが、ただ単純に楽しみで仕方なかった。それが伝播したように深津も口角を上げる。
「楽しみだピョン。松本をじっくり見せつけられるピョン」
「はあ? 何言ってんだ。それを言ったらお前だろ」
そう首をかしげる松本のほうを、深津はじっと見た。その深い闇のような瞳を見返しても、松本は深津の言っている意味をおぼろげにも理解することができずにキョトンとしてしまう。それ以上言葉を重ねるつもりはないようで前を向いた深津に従い、腑に落ちないながらも松本も前を向いた。
「そういえば、もうひとりってどんなやつかな」
バスケ部のスポーツ特待生は3人いると聞かされていたが、もうひとりの特待生とは今日が初対面である。遠方にいた深津と松本は春休み中に一度だけ練習に参加したきりで、ギリギリに決まったというもうひとりとは会えなかったのだ。
「おもしろいやつがいいピョン」
「なんだよそれ。まあ、気が合うやつだといいよな」
呆れたような松本の返答のあとに一瞬の間があって、深津がにやりと悪い顔をする。
「どんなやつでも、うまく使ってやるピョン」
その言葉に虚を突かれて目を丸くした松本は、思わず大口を開けて笑った。
「ははっ、確かにそれはそうだろうな」
深津は文句のつけどころのないほど素晴らしいバスケプレーヤーである。それは「日本一のガード」と言われていたことからも明白なことで、勿論その姿を誰よりも近くで見てきた松本はよく知っていた。
PGとしての深津の強みのひとつは、その広い視野にある。さらに、コート上に立つ選手たちの能力を誰よりも理解し尽くしているからこそ、そのパスはあまりにも心地良く手のひらにおさまる。その瞬間、なによりも雄弁に深津からの信頼を感じ、時には自分の実力以上の力を発揮できるのだ。だから、深津が司令塔としてコートに立つと、味方は自信に満ちあふれ、敵はその存在感に圧倒される。
そんな男とまた4年間、同じチームでプレーできるという事実を改めてじんわりと実感して、松本は口角を上げた。
「俺にもパス、くれよな」
深津も松本のその言葉に瞳を丸くして、とても嬉しそうにくしゃりと笑った。
「当たり前だピョン」
オリエンテーションが行われる5号館に到着すると、教室は学科ごとに分けられていた。案内の張り紙を人垣の後ろから確認し、ふたりはスポ科の会場になっている2階の教室に向かう。
教室に着くと入り口のスタッフから五十音順に座るように案内されて、ふたりは机の隅を見ながら席を探した。松本が一番前の列に席を見つけると、その二列後ろの右斜め側が深津の席だった。「あとで」とそれぞれの席に座り、松本は机上に置かれた資料の中身を確認し始めた。
そのとき松本の前に誰かが立ち止まり、「あら?」とつぶやく声が聞こえた。その声に釣られるように資料から顔を上げて、松本は叫び出しそうになったのを咄嗟にこらえた。目を見開き口をぱくぱくさせる松本と視線を合わせたその男は、ひとり得心がいったように「おお」と声を上げる。
「やっぱり山王の松本じゃねえか。お前もここだったんだな」
「み、三井…!」
松本がそれ以上なにも言葉にすることができずにただその顔を見ていると、三井はニカッと笑った。
「これからよろしくな」
今でもあのコート上で向き合った、目が据わった状態の三井の姿が松本の脳裏には焼き付いていた。そのときとはまるで別人のような爽やかさだが、目の前の男の顎にはたしかに見覚えのある傷がある。
松本が動揺したまま、ただこくんと頷いたとき、教室の前に立った職員から「オリエンテーションを始めるので、席についてください」と声がかかった。
「お。じゃあ、また終わったら話そうぜ」
そう言って、三井は松本の横を通って後ろに向かう。当然のように、斜め後ろあたりに座っていた深津にもすぐに気付いたようで、
「え! 深津?」
「久しぶりピョン」
というやりとりが、すぐ後ろで聞こえた。
松本はさすがに頭を抱えた。まさかあの三井と、同じ大学の同じ学科生として再会することになろうとは。
――もしや、もうひとりの特待生は三井なのか?
その考えにすぐに行き着いたものの、それ以上は思考の許容量を超えてしまって、松本はおとなしくオリエンテーションに集中することにした。
「松本!」
1時間弱でオリエンテーションが終わり、教室内がざわざわと騒がしくなり始める中、黒のバックパックにもらった資料やらを詰めていた松本は、後ろから唐突に背中を叩かれた。その衝撃で少しだけ前につんのめりながら振り返ると、ニコニコの三井と深津が立っている。
「昼飯、一緒に学食行こうぜ。深津はOKだって」
「松本も行くピョン」
「あ、ああ」
知らぬ間にふたりのあいだで話はまとまっていたらしい。どうも三井は、人との距離を詰めるのに躊躇いがないタイプのようだ。
「よし、決まり! ここの地下にあるらしいから、そこでいいよな」
松本が荷物をまとめ終わるのを待って三井が歩き出したのを深津と共に追う。教室を出て、三井、深津、松本の順に横並びに階段をおりながら、三井が待ってましたとばかりに話し始めた。
「なあ、お前らもバスケ部入るよな? スポーツ特待?」
「ピョン」
深津の答えに一瞬目を丸くした三井は、すぐにくしゃりと眉間にしわを寄せて笑った。
「はは、深津それどっちかわかんねーわ」
実際のところ、深津は近しい人間、山王においては同学年のバスケ部員たちがいるときにしか、完全に人を困惑させるような物言いはしない。甘やかしているといえばそれまでだが、そのよくわからない深津の甘え方は心を許されている証拠でもあって、松本たちはいつからか甘んじてその説明役を買って出るようになっていた。だからこのときも、ただスンとした表情を見せる深津の奥から、松本は自然とフォローするように答えを発した。
「俺も深津もバスケ部のスポーツ特待だ」
それを聞いた瞬間、三井の瞳は爛々と輝いた。
「やっぱ、そうだよな! 俺もだ」
やはり、3人目は三井だったのか。
学食に行くまでに早くも先程頭の隅へと追いやった考えに対する答え合わせが完了してしまった。オリエンテーションのあいだに混乱もほとんど収まっていた松本は、改めて三井のことを「チームメイトになる人間」として、努めて冷静に認識しなおすことにした。
松本の知っている三井は、堂本から褒められるほどの美しいシュートフォームを持ち、バスケが「上手い」選手だ。その事実が導き出すのは、とんでもなく頼もしい味方になる、というシンプルな答えだった。さらには、この短いやりとりの中ですでに、三井が基本的には気の良い男だ、ということが伝わってきていた。松本は自身が急激に、三井に対する警戒心を失っているのが分かった。
「教室入って松本見つけたときは、坊主じゃねえし、もし違ってたらどうしようかと思ったわ」
「よくそのレベルで声かけられるな…こっちも随分驚いたぞ」
松本がやや引いた表情を見せたのを、三井は軽く笑い飛ばした。
「そんな顔してたなあ。そしたら深津までいるしよ」
隣の深津の肩に、三井は気安く腕を回した。深津は三井のほうにチラと視線を投げる。
「三井、ちょっとはスタミナついたピョン?」
「お、バカにしてんな? 午後から見てろ」
トン、とその肩を叩いてニヤリと挑発してみせた三井を見て、深津はふ、と微笑んだ。
「おもしろくなりそうだピョン」
深津は気を許すと案外感情が表に出るほうだが、先程再会したばかりの、ほとんど初対面な三井にこんな表情を見せるなんて、珍しいこともあるものだ。松本もなんとなく頬が緩んでしまう。
三井はなんの気負いも含みもなく、ただ自然とそうなったとでもいうように、スッと人の懐に入り込んでくる。なんだか不思議な魅力のある男だな、と松本は思った。
本格的な昼の時間よりは少し早かったからか、学食の机はまばらにしか埋まっていなかった。三井は生姜焼き定食、深津は煮魚定食、松本はチキンソテー定食をそれぞれ注文し、窓際に並んだ正方形の4人掛け席のひとつに陣取る。3人は手を合わせて、しばらく無言で食べ進めた。なかなか味も量も悪くない。メニューの種類も多い上、日替わりの定食もあるようだし、今後の大学生活では随分お世話になりそうだ。
そんなことを考えていた松本の正面で生姜焼きを咀嚼していた三井が、ふと何かを思い出したように顔を上げたので、ちょうど水を飲んでいた松本はそちらに視線を向けた。
「山王って秋田だよな? 地元もあのへん?」
「いや、俺らはふたりとも福島だから、越県入学ってやつだ」
「へえ。実家同士は近ぇの?」
「県内の東と西って感じだから、近くはねぇよな」
左斜め前に座っていた深津に問うように目を合わせると、一旦箸を置いた深津が軽く頷いた。
「でも、ミニバス時代から試合とか県代表とかで知ってるピョン。家族ぐるみの付き合いピョン」
「ああ! 幼なじみみたいなもんか。俺はそれ、牧と藤真だわ」
「海南の牧と翔陽の藤真か」
全国大会の常連校で、対戦したこともあるふたりの選手の顔が深津も松本もすぐに浮かんだ。
「そうそう。ふたりとも関東進学組だから、そのうち会うだろ」
あまりにもその紹介が大雑把すぎて、もう少し情報が欲しくはあったが、口を挟む間もなく三井は続けた。
「てか、実家福島ってことは、ひとり暮らしか? うち寮ないもんな」
「ああ、大学から歩いて15分くらいのとこに住んでる。深津も近所だ」
「松本の家から徒歩2分ピョン」
深津は右手で2を作って、ずいと三井のほうにその手を見せつけるように伸ばした。本当に一瞬だけその指を見た三井は、同じように左手で2を作り、深津の指にピタリと指先を合わせる。さすがの深津も一瞬目をパチパチと瞬かせたが、すぐににんまりと笑みを作ったので、三井もにひっといたずらに笑い返した。
そんなふたりの様子を味噌汁を飲みながら無言で見、なぜ三井はいきなりこんな謎の行動を…? と、松本は若干引いていた。深津が不気味な笑みを浮かべているところを見るに、三井の行動は深津にとっての正解だったのだろう。
もしかしなくても、三井と深津は似た感性の持ち主なのか…? そうだとするなら、これにひとりで太刀打ちしていくのは、なかなか骨が折れるぞ。
そんな心配で頭がいっぱいになっている松本の怪訝な視線などつゆ知らず、三井と深津はその指を離して、何事もなかったかのように食事に戻った。
三井が最後の生姜焼きと千切りキャベツを口に運び、米と一緒にもぐもぐと咀嚼しきって箸を置いたタイミングで、深津はずずっと残りの味噌汁を飲んで、器を置いた。松本も最後のひと切れのチキンソテーを咀嚼しながら、箸を置いた。
水を飲みながら、なにごとか思案するような表情で唸った三井が、
「俺実家だから、ひとり暮らしって憧れるけど、家事とか考えると大変そうって気持ちが勝つわ」
とこぼしたのを、その黒目の大きな目でじっと見た深津は、なぜか自信満々に三井に告げた。
「俺は最初から諦めてるピョン。松本におんぶに抱っこの予定ピョン」
水の入ったコップに手をかけながら、開き直った態度の深津を見、松本は自然とこぼれるため息を止めることができなかった。
「深津…ちょっとは頑張ってみようという態度を見せろよ…」
そんな松本の責めるような視線も深津は意に介さない。
「あかねからもお許しが出てるピョン」
「あかね?」
初耳の女性と思われる名前が出てきて、三井は首を傾げた。なんとも言えない表情を浮かべる松本にさらに疑問を深め、三井が深津に視線を戻すと、深津は何でもないことのように淡々と言った。
「松本の母親ピョン」
その言葉に目を丸くする三井と同時に、松本は右手で額を押さえてさらに深いため息をついた。
「ははは! なんで友達の母ちゃん、呼び捨てなんだよ」
「はあ、昔からだ…」
「あかねはあかねピョン」
せきをきったように笑う三井に、深津は少しだけムッとしたように眉を寄せ、心底不思議そうに言った。三井はそれも含めてツボに入ってしまったようで、ヒイヒイ言いながら笑いすぎて滲んだ涙を拭う。
「なんか、深津って思ってたのと違うな。もっととっつきにくい奴かと思ってた」
その率直なもの言いに、深津も松本もキョトンとして三井を見た。ほとんど初対面の人間に対して、まったく誤解など恐れることなく真っ直ぐに言葉を発すことができるのは、きっとこの男の美徳であろう。もちろん、人によっては逆に火種を作る場合もあるだろうが、少なくとも深津と松本は、その態度に好感を覚えた。深津は自然と両の口角が上がるのを感じた。
「それはこっちの台詞ピョン」
「?」
三井はその言葉の意味を捉えあぐねている様子で、深津に先を促すような視線を送った。
「あのときの三井、柄も悪いし正直不気味だったピョン。松本はしばらく三井の悪夢を見て、うなされてたピョン」
松本は「おい深津」と咎めるように深津を睨んだが、「本当のことだピョン」と見返され、うぐ、と言葉に詰まる。そんな中で、三井はさらに首を傾げた。
「悪夢? なんで?」
三井の無垢な瞳に、松本は自分の弱さを見透かされるようで、苦々しい感情を噛み殺すように、歯切れ悪く答えた。
「なんでって…言わなくてもわかるだろ」
「ええ? うーん? いや、あのさ…怒らないで聞いてくれよ?」
「なんだ?」
「情けねえ話なんだが、あんとき、後半始まってしばらくしてからほとんど記憶ないんだよ。あとで記録映像で見たは見たけど、松本とのマッチアップの記憶、かなり途切れ途切れなんだよな」
深津も松本も、その三井の言葉にポカンとしてしまって、やや居心地悪そうに頬をかく三井を中心に、しばらく時間が止まったように静寂が流れた。
「それで…あの4点プレーを?」
深津の問いにおずおずと頷いた三井に、深津はさらに目を丸くし、松本は深く息を吐いた。意識も曖昧なフラフラの状態で、あれだけの美しいフォームを見せつけられていたのかと思うとたまらない。――だが、この男もとんでもないバスケ馬鹿なのだ、きっと。無意識にもバスケットボールを追いかけるほどに。
そんな三井に振り回されて悪夢を見たことすらも、なんだかおかしくなってきて、松本はつい吹き出した。
「くくっ、俺はお前が恐ろしいよ、三井寿」
「松本はよく笑えるピョン。普通にゾッとする話だピョン…」
「その…なんか、ごめんな?」
「いや、別に謝られることではないが…」
くすくすと笑う松本に、ややきまり悪そうにした三井はひとくち水を飲んで、「けどさ」と改まって話し出す。ふたりはそちらになんとはなしに顔を向けた。
「だから今日会えて、これから一緒にバスケできるってわかってまじで嬉しかったんだぜ。松本も深津もすげえプレーヤーだってのは知ってるから、同じチームでできるなんて楽しみでしかたねえよ。改めてよろしくな」
に、と歯を見せた三井から、あまりにも純粋な賛辞と喜びを受け取って、深津も松本も瞬間気圧され、そののち微笑んだ。
「…ああ、こちらこそよろしく頼む」
「ピョン」
今度は説明されるまでもなく深津の答えを理解して、三井はくしゃりと眩いほどの満面の笑みを浮かべた。
*
本格的な練習が始まってすぐに、深津と松本はその無尽蔵とも思えるほどのスタミナと、かなりの練習量に裏打ちされた冷静で正確無比なプレー、そしてさすがと思わせるコート上での強さを見せつけた。一方の三井はふたりの安定感には劣るものの、その美しいシュートフォームとバスケセンスに溢れたプレーで周囲を唸らせた。
「三井のシュートフォームは本当に綺麗だな」
練習メニューの合間の短い休憩中、フロアに座って汗を拭き、水分補給をしていた三井の横に、松本が立って不意に言った。水分補給するその横顔は、本当に同じメニューをこなしているのかと思うほど涼しげだ。三井は他でもない松本からのその賛辞を嬉しく思ったものの、同時にスタミナという最も大きな課題を突きつけられたような気分にもなって、思わず苦々しい表情になった。
「松本にそう言われると、嬉しいわ」
松本はその表情と言葉の噛み合わなさに、三井の顔を不思議そうにじっと見て、薄く笑った。
「その言葉のわりに、嬉しそうじゃないが?」
「あーいや、本当に嬉しい。嬉しいけど…松本の涼しい顔見てたらよ、俺スタミナねえなってさ」
「ああ…いやまあ、それは…」
「三井は本当にスタミナがないピョン」
もごもごと言い淀んでいた松本の横に現れた深津が、のぞき込むように三井に言ったそのひと言に、三井は大げさな仕草で「ウッ」と胸を押さえた。松本は少しだけ非難するような目を深津に向ける。
「深津…お前…」
「はっきり言ってやるのが三井のためピョン」
前を向いてきっぱりと言い切る深津の言っていることももっともではあったが、そうは言っても言い方ってもんが、と松本は瞬間溢れそうになった言葉をのみこんだ。深津の瞳には、三井のことを馬鹿にするような気配はなく、その言葉通りに深津なりの思いやりがあるように見えたからだ。
三井は膝の間にあるボールを両手で掴み、それに視線を固定したまま口をとがらせた。
「わかってんよ、自分が一番わかってるけど…おめーらのスタミナ怪物並なんだぞ? それと比べられる身にもなれよ…」
「俺たちと比べるまでもなく、三井のスタミナはクソだピョン」
前言撤回。深津、お前三井のことをただ罵倒したいだけなんじゃないか?
松本はふたりの間に立って、このまま激しくなりそうな口論を止めるべきか改めて考えだした。飄々とした態度で水分を摂る深津の横顔を、三井はかなりガラの悪い態度で睨みつけている。
「あァ? わかってらあ! 言い返せねえのがムカつくな…」
まだ本当に短い付き合いではあるが、なんとなくこのふたりの絡み方はわかってきていた。三井のようなタイプは山王にはいなかったから、松本からするとなんとなく深津の新たな面を見るような面白みもあったし、一方で第三者視点で見ていると、やや言い過ぎなのではと感じるやり取りも多かったから、たまに松本はひとりひやひやした。
ふたりの間ではわきまえている線というのがあるようだったから、放っておいても、あとでケロリとしていることはすでに知っていたが、それでも松本はなんとなく自分の寝覚めが悪くなりそうで、いつも仲介するように言葉を発する。
「まあ、俺らも高校でひたすら走ったからな。三井もこれから次第で、どうにでもなるさ。それに、高校の時よりはマシになってると思うが」
フォローのためとはいえ、実際には率直にただ思ったことを松本は口にした。三井はそれを聞き、松本のことをキラキラとした目で振り仰いだ。
「松本…! わかってくれるのはお前だけだ!」
その縋るような上目遣いの三井と目を合わせ、松本は妙な気分になった。なんとなく気付いてはいたが、この男、改めて見ると随分整った顔立ちをしている。この綺麗な瞳でじっと見つめられては、ドキッとするのも致し方ないと思うが、松本はどうにも居心地が悪くて、
「は、ハァ?」
と頓狂な声を出した。深津は呆れた表情でふたりのほうを見た。
「松本、甘やかすなピョン。こいつはすぐ調子に乗るピョン」
「うっせえ。俺は褒められて伸びるタイプなんだよ!」
「言ってろピョン」
フン、とそれぞれに顔を背けて、コートのほうを見た深津と三井の間で、松本はぱちぱちと目を瞬いて黙っていることしかできなかった。三井は手元のボールをコロコロと転がすように弄びながら、いじけたような声を出す。
「すぐに追いついてやるよ。スタミナの心配なんかせず、フルタイムでコート走り回って、スリーばしばし決めてやる」
先程よりも声量は小さくなったが、意志のこもったその言葉に、深津も松本も三井のほうに顔を向けた。松本の横で、ふ、と深津が笑った気配がした。
「その意気ピョン。俺たちでみんなぶち倒すピョン」
今度は、三井が顔を上げて深津のほうを見た。
「……深津って、意外と熱いとこあんだな」
驚いた、という三井に、松本も内心頷いた。心に秘めた熱さには人一倍のところがあることは常々感じていたが、松本もよく知る深津一成という人間は、やはり表面上では冷静だったし、ここまではっきりとした言葉を口にすることはなかったように思う。深津は悪だくみをするように両の口角を上げる。
「できないと思うか? 俺は本気ピョン」
松本も三井も、その言葉にさらに目を見開いた。
当然のように深体大からもスカウトが来ていた深津が、二部に昇格したばかりのこの大学を選んだ理由はこういうことだったのかもしれない、と松本は思った。挑戦者として王者を奪還してやろうという、深津のその壮大すぎるようにも思える野心は、だがふたりの心に真っ直ぐに響いた。
三井が「はは!」と大きく笑った声が体育館に響く。
「気に入った! ぶち倒してやろうぜ、俺たちで」
松本も、ふ、と不敵に笑んだ。
「腕がなるな」
深津もふたりと視線を合わせ、目を細めた。そのときコートの中心に立ったマネージャーの先輩から「練習再開するぞ!」と声がかかる。よし、と立ち上がった三井を先頭に、3人はタオルとボトルを手に、そちらに向かった。
*
「三井の膝のサポーターは、怪我か?」
練習後のロッカールームで松本、三井、深津と並んで着替えていたときだ。松本がふと思い立ったように言ったひと言に、三井は顔を上げて視線を合わせたまま固まった。それはさらっと流してしまえるほどには風化した記憶でもなく、咄嗟にどう言っていいものか言いあぐねてしまったのだ。三井を挟んだ隣で着替えていた深津は、松本をじとっとした目で見た。
「松本…そういうところあるピョン」
「まあ…あるな」
なにやらふたりの間でだけ納得するような雰囲気になり、松本は慌てた様子でふたりの顔を交互に見ることしかできなかった。
「え? なに、どういう意味だ」
深津は静かな瞳で真っ直ぐに松本をとらえた。そして、ただきっぱりと言葉にした。。
「たまに、驚くほど無神経なことを言うピョン」
その歯に衣着せぬ言い方に、シャツのボタンを閉めながら三井は思わず「ははっ」と笑いをこぼした。それは深津の言を強く肯定するわけではなかったが、同じようなニュアンスのことを三井も感じていたのだろうと思わせるには十分な反応だった。
松本は「あ…」と声を漏らした。
バスケ選手にとって、どれほど故障がセンシティブな問題であるだろう。それも真剣に取り組んでいればいるほどに。一緒に練習をするようになって見ている分には、スタミナ不足以外の面では三井になにか不安があるようには思えなかった。しかし、この曖昧な反応は、それが明白な間違いであったという証拠だろう。そこまで考えて、不意に松本はその答えを思い出した。
そうだった。三井にはブランクがある、と堂本先生が話していたじゃないか。
ブランクができてしまうほど、片膝だけにサポーターをつけ続けるほどの故障。その可能性をなぜ考えることができなかったのだろう。出会ってそう長くもない人間から、それに土足で踏み込まれることの痛みを、なぜ想像できなかったのだろう。
三井はブランクなど感じさせないほどの上手さと強さを持っている選手だ。さらには、三井のいつもの軽い調子である。言い訳にもならないが、つい、言葉が滑り落ちていたのだ。
深津の言うとおりだった。そんなつもりはなくても時折、ただ率直に言葉を発し、無神経に相手を傷つけることがある。そのことを、薄々松本自身も分かっていた。
「すまん…」
ただ、そう謝罪する言葉しか出てこなくてうなだれると、三井はポンと松本の肩に手を置いた。柔らかく笑んでいるその表情は、いつものふざけた様子もない、見たことのない三井の一面だった。
普段は松本が深津と三井の悪ふざけを止めたり、世話を焼いたりしていることが多いが、ふとした瞬間に感じさせる、三井は自分よりもずっと大人なのかもしれないという感覚。その正体は、もしかしたら故障によって彼の身に起こった種々のことが影響しているのかもしれない。松本はその透き通った瞳を見返しながら思った。ただ、ぼんやりとその輪郭を描くことはできても、バスケをできないことの恐怖や絶望感を、自分ではどうすることもできない無力感を、鮮明には想像することができなかった。
